2007年5月20日 (日)

妊娠のためにやったこと

妊娠5週0日

おなかにベビーがいることが判明してから5日経ちます。

体の変化としては、

37℃越えが続き(判定日3日前から)

電車に乗ってもカフェに行ってもクリニックにいても

すぐ寒くなってしまいます。

(私の体温だけのせいじゃない?)

あと、薬のせいもあるかもしれないけど

やたら眠くて、朝ごはん食べてまた寝てみたり

午後まるまる寝てみたり、

それでもしっかり夜は寝られます。

下腹部がなんとなく張るような感じはあるものの

痛みというほどのものはなく

体は穏やかに過ごしています。

心は・・・。

やはり、ちゃんとおなかで成長してくれるだろうかという

不安がどうしても押し寄せてきてしまって。

そんな時、ネットでステキな言葉をみつけました。

「不安に打ち勝つのも強いママになる準備」

というもの。

ああ・・・

世の中のママさんたちは、少なからず不安に打ち勝ってきたんだ。

私の母も、みんな。

そう思うと、気弱になってどうするとパワーが出てくるのでした。


ともかくも、こうして受胎することができた。

このために、移植の日までにやってきたことを記しておきます。

・鍼灸に1カ月に1~2回のペースで、移植の3日前にも通った。3日前のは全身マッサージ付きで。鍼灸師さんに治療の話をざっくばらんにできたのもよかった

・サウンドヒーリングという音波(音楽の振動)を使って心や体を癒すサロンに行き、子宮付近に音波を当てた。これは移植の10日ほど前に一度だけ。

・ウェストが何cm細くなると何%妊娠率が高まるという話を聞き、下腹部シェイプのためにバランスボールを買った。パソコンする時はいつもバランスボールに座ってゆらゆら

・自転車のパンクをあえて直さず、毎日の買い物はひたすら歩くように

・ドクターの指示で、マルチビタミンと葉酸のサプリを毎日一粒ずつ

・ローズヒップティー、ルイボスティーをよく飲んでいる。今も。鍼灸のサロンで買ったラズベリーリーフティーは子宮まわりの筋肉を強くするらしく、移植前にたびたび飲んだ

・昨年9月から子宝草を育てている。2つの鉢で育てており、種(?)が落ちて生えてきた小さな芽はせっせと抜いていたが、ここ1~2カ月は抜かずにいっぱい育てている。鉢も増やす予定

こんなところでしょうか。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2007年5月15日 (火)

判定日

周期25日目(移植から11日後)・・・37.20℃

今日もいい体温を保っていました。

この3日間、37℃を大きく越えるのが続いていて

歩いている時は気づかないけど寝ていると

下っ腹が痛いようなしくしくするようなのがあって

色のついたおりものがありました。(茶おりってほどじゃないけれど)

今朝、起きたら「妊娠してる・・・」って確信みたいのがあったんです。

きのうまではそうは思えなくて、

ヒールを履き10冊ほどの資料本を抱えて

仕事の打ち合わせに出掛けたりしてたんですが。

待合室で待っている間も、ドキドキはしたものの

穏やかな気持ちで読書しながら過ごすことができました。

そして、採尿&採血から1時間半後

ドクターから「妊娠してますよ」の言葉が。

確信に近いものはあったものの、夢の中で聞いているみたいで

待合室に戻ってからも夢じゃないことを確かめる作業

(持っていた本の出版社の住所を見てみるとか・・・)

を懸命にしたほどです。

普段は声が大きくワハハ笑いをするドクターなのですが

判定を伝える言葉は静かなものでちょっと予想外でした。

やはり、声の漏れなどほかの患者さんのことを気遣っているのだな

というのがわかりました。

今日は会社が休みだったタケの待つ家に帰ると

(一緒にクリニックに行く勇気はなかった)

これまた想像してたような「バンザーイ」という感じでもなく

「これからだね」という感じでお互いに微笑みあったのでした。


不妊クリニックにデビューして2年と1カ月、

赤ちゃん待ちブログを始めて1年と6カ月、

いつもあたたかい言葉で励ましてくれる皆さん、

本当にありがとうございました。

いっぱい勇気づけられて、

どん底になった時も自暴自棄にならず

大切なことを教えてもらいながら

ここまで来ることができました。

これから自分の体がどう変わっていくのか

そして1月の出産予定日までの長さを思うと

楽しみもあり不安もありですが

おなかの子を信じて一日一日過ごしていきたいと思います。

| | コメント (7) | トラックバック (0)

2007年5月 6日 (日)

初の凍結胚移植

周期20日目(移植から2日後)・・・36.96℃

だいぶご無沙汰しちゃいました。

その間、気にして遊びに来てくれた方、ありがとう。

前回の涙の判定から一周期お休みして、

凍結していた受精卵2つ(これですべて)を一昨日、お迎えしてきました。

採卵→移植の周期と違うことは、

排卵誘発をしないで済むこと、それゆえ内膜の状態をよくできること。

なのに、不思議ですねー、

周期8日目くらいにすでに内膜11ミリあったのに

移植当日は8.5ミリになってたんです。

これじゃあ、前回の9.5ミリより薄いじゃん。

まあ、7ミリあればうちの病院では合格らしいので

だいじょうぶと信じたいですが。

普段の診察では3時間も待たされるほど人気病院にもかかわらず

その日の移植はなんと私ひとりだったんです。

前回のように、リラックスする薬というのを飲んで

ほんわか気分で無事、お迎えしてきました。

一つが胚盤胞、もう一つが桑実胚の卵ちゃんで

先生いわく、「一つは完璧、一つはまあまあ」とのことです。

移植後の看護婦さんも独占。

ゆっくりいろいろお話ししてきました。

話しやすいいい看護婦さんだったのですが、ちょっと気になることが。

移植して30分ほどベッドで安静にした後、お尻に注射を2本打つのですが、

打った後、しこりが残らないようにお尻をもみもみしてくれる時、

そのもみもみがいつになく激しかったんです。

全身揺れる揺れる。

そんなに激しくしたら子宮の卵ちゃんたち飛んでっちゃうよ~

ってくらい。

どうなんでしょう。気にしすぎでしょうか。

早くも、判定日までの小さなこと気になる病が始まりました。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2007年2月22日 (木)

判定日。奇跡は起きるか

周期30日目(高温期17日)・・・36.97℃

実は3日前にフライングしちゃったんです。

どっちつかずの状況があまりに精神不安定だったので。

「立場を明らかにするんだ」とクリアブルー買っちゃいました。

高温期14日目、ほぼ間違いなく結果は出てます。

検査にこれほど緊張したのは初めてです。

目の前に、二つの道がぱっきり分かれているのが見えました。

運命を分ける二つの道。

光に満ちあふれる母への道と、暗く果てしない治療の道。

がんばってきた1カ月半が頭をよぎり、トイレの前で

検査薬を天に掲げて拝んだほどです。

そして、トイレで目にしたのは・・・

いつも見慣れた真っ白の小窓でした。

その夜は、涙が止まりませんでした。

タケくんに何時間も付き合ってもらいました。

「ミニーがいればいいんだよ」

と何回も言わせてしまいました。

タケくんもがんばったのにね。

その晩ですべての感情と言葉を出し切ったせいか

翌朝は顔がパンパンに腫れていたものの

気分はスッキリ軽くなってました。


そして今日の判定日。

結果はわかっていたから怖くはなかったものの

元来楽観的な私。

一発逆転があるんじゃないかと密かに期待し

ドクターに「おめでとう」と握手される場面を頭にイメージしながら

待合室に座っていたのでした。

でも、奇跡は起きなかった。

「60%くらい成功するんじゃないかと期待してた」とドクター。

受精卵もグレードがいいし、内膜の厚さも十分だった、と・・・。

何故?って考えても答えは出ません。

残念だったと言うしかありません。

きっとどこかにいる運命の赤ちゃんのためにも

健康な体とハートフルな心を準備しておかなくっちゃね。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2007年2月12日 (月)

受精卵お迎えしました

周期20日目(高温期7日)・・・37.09℃

タケくんと私の受精卵を胚盤胞という段階まで分割させ、

一昨日、おなかにお迎えしてきました。

「尿をいっぱいためてきて」と言われていたものの

受付してから実際の移植までの時間が読めず

たまり具合は結局、「尿意を感じない程度」でした。

というのも、受付するなりすぐ呼ばれ、

採血もエコーもすることなく

「じゃ、始めましょう!」と院長の威勢のいい声。

リラックスする薬というのをその場で飲まされ、

すぐに着替えて手術台に昇ったという早さだったのでした。

グレードのいい卵ちゃんを1コ戻すことに。

胚盤胞までちゃんと育ってくれたのはその他1コだったようで

凍結は1コとなりました。

19コ採卵できて、1コ戻し、凍結1コ・・・?

足を思いっきり広げた状態でそんな説明を聞き

一瞬ショックを受けたものの考える間もなく移植が始まりました。

移植じだいは痛みを感じることなく終了。

リラックスする薬というのがよ~く効いているらしく

移植後しばらく、家に帰ってからも幸福感が続いていたのでした。

一昨日、昨日と「安静に」の言いつけを守り

ベッドでごろごろの生活してました。

ベッドでごろごろしながら、移植前に受けた「凍結1コ」の説明ついて考えてみました。

胚盤胞まで育てて移植することのメリットは妊娠率が上がること、

デメリットは胚盤胞まで育たない卵ちゃんが出てきて

卵ちゃんをムダにしてしまうことがあること。

育つ見込みのある卵ちゃんのみ胚盤胞まで育て、それ以外は

即凍結という臨機応変型ではなく

すべての卵ちゃんを胚盤胞まで育てるか、すべて育てないかの

どちらかだったんだ、と今さらながら気づきました。

でも、たくさん採卵できたことで胚盤胞まで育てる可能性が出てきた。

これでよかった、と思うことにします。

そして何より、今おなかにいる卵ちゃんを大事に育ててあげたい。

| | コメント (7) | トラックバック (0)

2007年2月 8日 (木)

今日胚移植!?

周期16日目(高温期3日)・・・36.86℃

胚移植のため、病院へ行って来ました。

といっても、受精卵が多かった場合は

胚盤胞まで分割させて移植することが多いし、

妊娠率も15%ほど上がるって聞いていたので、

きっと今日はしないだろうという気持ちと

でもすることになるかもという気持ちの

半々のまま呼ばれるのを待っていました。

結果は、予想どおりというか希望どおり

明後日、胚盤胞まで待って移植することになりました。

受精した計14コの卵ですが、体外受精と顕微受精

それぞれ同じ数受精したにもかかわらず

顕微のほうが「まるで別の人かというくらい」(byドクター)

卵の質がいいそうです。

できれば体外のほうを戻したいと考えていた私ですが

様子を見てグレードのいい卵ちゃんをお迎えしたいと思います。

一つにするか二つにするかは、ドクターとこういう了解を得ました。

「二つ戻して着床すると、双子になった場合リスクは10倍に増える。

だから病院としては、できるだけ一人の妊娠を勧めたい。

グレードのいい受精卵があればそれを一つ戻し

まあまあのグレードの受精卵であれば二つ戻しましょう」と。

リスクなど知らず「二人できたら楽しいね」と言ってる

タケくんにとってはちょっと残念かもしれませんが。


いちお、今日移植することを考えて、

2、3日分の飢えをしのげる鍋料理を朝から大量に

作っていったわけですが、

延期されたことで、ちょっと困ってます。

移植後の安静にしている時は、温かく栄養豊富な

鍋が一番!って思ってたんですが

とりあえず今ある鍋をたいらげて、また移植の日からも

鍋というのは、飽きる&栄養的にどうか

という問題があります。

ちなみに採卵時に仕込みはカレーでした。

一つの案としては、鍋は鍋でもキムチ鍋にすれば

具も多少は変わるし、体を暖めそうでよろしいと

思ってますが。

2、3日料理しないで済んで、かつ体にいいもの

なんかアイディアありますか?

| | コメント (7) | トラックバック (0)

2007年2月 7日 (水)

体外受精スタートです

周期14日目(高温期1日)・・・37.03℃

何から書いたらいいのでしょう。

年明けから体外受精について考えていて、

いろんなリスクやハンデや倫理的なことも考えた上で

「挑戦しよう」という気持ちのほうが大きくなって今に至ります。

1月9日から検査開始(体外受精前検査というもの。夫婦ともに)

1月13日にピルを飲み始め(そう、ピルロング法です)

1月24日にピルの影響で周期がリセットされ

(9日の時点で24日に生理が来ると言われていたが本当に来たのでビックリ!)

その日から毎日の注射が始まり、

1月31日から排卵を防ぐ薬を3日間注射し

(検査の結果、卵巣の働きが弱めということでセトロタイドを使いました)

2月5日に採卵してきました。


あまりにもざっと書きすぎましたが、いつも感じていたのは、

体外受精をしている日本中の仲間に敬服する気持ちです。

最近は、これまでにないほど仕事が立て込み、

(どうか体外受精に専念させて~ってほどの過密スケジュールでした)

ブログに逐一記す余裕がなかったのが残念でしたが、

ああ、みんながんばっているんだ、

母になりたいという気持ちのためなら耐えられるんだ

と身にしみ、力をもらわずにはいられませんでした。

私自身がこれまでの過程で大変だったなぁということをあげると、

・注射のために毎日通うこと・・・私はとてもラッキーなことに、クリニックが最寄り駅に行く途中にあるので、通うことじたいは毎日でもそんなに苦ではありません。でも、待合室には関東圏内はまだしも、新潟や札幌から来ている人もいます。こんな恵まれた私でも、毎日というのはけっこう気持ちを奮い立たせなければいけませんでした。

・排卵誘発剤の注射・・・採卵日まで8日ほど打ち続けました。多い時は一日に4カ所。採血&皮下注射2本&筋肉注射1本。特に皮下注射の痛みは最後まで慣れることがありませんでした。特にセトロタイドの注射は、神経にビリビリッと来るような痛みで。その後20分はジンジンしています。

・費用・・・これは最初からわかってたことで、そのための予算は準備していましたが、一日に2万、3万の単位で飛んでいくと、金銭感覚まったくおかしくなります。ちなみに、体外受精&顕微受精の組み合わせで、そのものにかかった費用が42万でした(検査費、注射費などは含まず)。

・採卵・・・前日の夜9時から飲食禁止。下剤の座薬を入れ、腸をからっぽにするんですが、言われていたとおり15分経ってからトイレへの約束が守れず、10分で駆け込んでしまいました(汚い話でごめんなさい)。そして、当日。最初に、水分補給や抗生剤投与のための点滴をするんですが、まずその針がうまく入ってくれず3度目にやっと刺さってくれました。まぁ、これは序章。手術台に乗せられると、局部麻酔。まずは右の卵巣から。麻酔が効いて卵巣に針をさす痛みはなかったものの、初めおなかをぐいぐい押される痛みが。次第に押される痛みも感じなくなってきて、右の卵巣は無事終えました。そして左の卵巣・・・これがなんというか、膣や卵巣をぐいぐいする鈍痛と吐き気みたいのが襲ってきて、「早く終わってくれ」状態でした。自分で歩いてベッドまで帰るのが基本ですが、痛みの中、ストレッチャーで運ばれて1時間くらいうなっていました。その後、トイレに行って少しスッキリしたら痛みは減り、なんとか家まで帰れたのですが、一日経った今もおなかの痛みというか違和感がいっぱいです。


一気に書きすぎました(汗)

大変さを強調してしまいましたが、

これも将来わが子に会うためのプロセスで

常に弾んだ気持ちがあるというか、

前向きな強い気持ちで取り組めているのは確かです。

今日、受精確認の電話をもらったら

採卵できた19コのうち、

体外受精で6コ、顕微受精で7コ確認できたようです。

初めて、タケくんと私の分身が一つになった日。

タケくんも「今日が誕生日だね」って言ってました。

ま、だいぶ気が早いですが。

移植日は明後日、もしくは胚盤胞(より分割した状態)なら10日頃となります。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2007年1月 6日 (土)

芽生えた決心

周期30日目(高温期?日)・・・測ってません

今年で何回、初詣に同じことを思って手を合わせているでしょう。

それでも、以前は懇願!!!て感じだったのが、

安らかな心で健康と安全とセットでお願いする

というふうに変わってきた気がします。

今年は私の実家で新年を迎え、

元日には両親と妹、そしてタケくんと一緒に、

街の中心部にある八幡様に出掛けたのでした。

さすが人も多く参道には行列もでき、出店もにぎやかに並んでいました。

お祭り好きな私は心がウキウキだったのですが、

掲示板に書かれたある文字を見てガクッ。

今年は厄年と言うではないか。

ただ、周りみんなに聞いても、厄年によくないことがあった

という人は皆無で、

テレビでも飛躍の躍年なんて言ってる人がいて

だいじょうぶだよねという気がしてきたのですが、

どうしてこういう年を作る人(神?)がいるんでしょうね。

そんなわけで、厄年だからといって例年と変わらず

明るく元気に過ごしていきたいと思っているわけですが、

新年早々、これは?という出来事がありました。

(あまり楽しい話ではないので、お正月気分を壊したくない方は

このへんで・・・)





それは不正出血。

妊娠の可能性以外の不正出血って(←今回私はコレ)

排卵期、生理前の卵巣機能の乱れによるものが多いそうですが

子宮筋腫や子宮ガンといった病気のサインとも言われていますよね。

特に子宮筋腫は30代以上の女性の4人に一人が持つと言われるポピューラーなもの。

不正出血を見て、はじめは生理が早く来たんだ~って思いました。

けれど、二日経っても本格的にやって来ないので

いよいよ心配になって病院へ行ったわけです。

ドクターに診てもらったら、

卵巣も腫れておらず、出血も見られない、

生理が来る前兆でしょうとの診断で胸をなで下ろしたのですが、

この一件はちょっと考えさせられました。

実は、新年明けたら体外受精へ踏み切ろうと思っていたのですが、

本当にしていいものか、自分の中で答えが出ていなかったんです。

体外受精については、次のブログでも書くつもりですが

方法やお金については納得できても

倫理的なところでまだ引っかかりが解けないでいたのです。

けれど、今回の不正出血を機に

早めにチャレンジしたいと思うようになりました。

自然にまかせて結果が出ず、

排卵を誘発してAIHをして結果が出ず。

もしかしたら次周期、自然に妊娠するかもしれません。

でも、これまでずっとそう信じてきて、それが未だ叶っていない。

けっこうがんばったよなぁ私と思うと同時に

やみくもな排卵誘発はやはり体によくないので、

それなら確率の高い体外受精にきちんと取り組もう、

そんなふうに思えたのです。

タケくんに聞くと、体外受精してでも子どもがほしい

というシンプルな考え。

今日か明日か生理が来たら、答えを出す時です。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2006年12月20日 (水)

健康な肉体に子は宿る

周期13日目・・・測ってません

タイトルのとおり、夫婦が健康であってこその妊娠て思います。

子孫を残すという偉業を果たすには、

夫婦の生命体としてのエネルギーが必要でしかるべき。

けどね、私たち夫婦には今それがちょっと足りない。

まず私。一応、健康ですよ。

でも、おおむね家で仕事してるせいで、決定的な運動不足。

そして、遅寝遅起きの生活リズム。

夜更かしは、昔っから大好きなので

早く寝なきゃっていうストレスを抱えるよりはマシと

大目に見てますが、

タケくんを見送った後で二度寝しちゃった時は

あんまり気分よくないですね。

まあ、私はもっとがんばんなきゃ程度なのですが、

問題はタケくん。

仕事が忙しすぎる!!!

「忙しい」なんていうヤツは仕事のできないヤツだ。

なんて説教たれる人はいそうだけど、そうとばかりは限らないよ。

やっぱり忙しい仕事ってある。

週に3度の一泊二日出張。飛行機は朝7時便。

体を引きずり帰宅したら朝まで原稿(そういう仕事なんです)。

倒れ込むように寝て2、3時間したら起きて出社。

・・・って、おかしくならないほうがおかしい。

タケくんは、メニエル病の疑いがあって薬を飲んでる上に

慢性的な睡眠不足のため一度風邪をひいたらこじらし、

抗生物質を含めた数種の薬を一度に使用するから胃を痛め・・・

そんな悪循環にハマってます。

今の部署が特別なのか、今の時期だけの辛抱なのか、

今日はおそらく排卵日だけど

心で泣く泣く見送るんだろうな私って思います。

夫婦ともども元気じゃないと、子種ちゃんたちも

受精→着床→成長への旅に出掛けられないだろうし。

| | コメント (8) | トラックバック (0)

2006年11月27日 (月)

考えさせられる旅

周期16日目・・・測ってません

今日が何日目なのかすら今数えて知ったくらい

完璧に治療をお休みしてます。

なおかつ風邪を引いているので

わが家での営み(ってなんかヤらしい表現)もご無沙汰。

そんな中、日韓交流の旅なるものに参加してきました。

昨年からぼちぼち韓国語を勉強してるのと

今年アタマに初めて第九に参加したことから、

「韓国で第九を歌う」なんて一石二鳥なお話。

というわけで、ツアーに単独参加。

ツアーの皆さんは合唱団に入ってる人ばかりで

「どちらの合唱団から?」などと聞かれつつも

おばちゃん&おじちゃんたちのあたたかなウェルカムを受けて

楽しく旅をしてきたのでした。

今思い出しても胸が熱くなるくらい。

ただ・・・

当の日韓交流のほうは、ちょいと思うところあり、でした。

私は韓国に友達もいるし、今まで3度訪れた中で

韓国の人たちからとてもよくしてもらった

という記憶しかなかったんですが、

今回はちょっと趣が違った。

日本人という一括りで見られると、こうも「反日」のまなざしを

受けることになるとは。

韓国のコーラスの人たちは、かの国の喜び組を思わせる

美女軍団だったんですが、

韓国人指揮者の最初の挨拶がまず

「この美女たちは皆、結婚してますから!」

と冗談ぽく私たちを牽制。

それって失礼じゃない?とナイスミドル風な指揮者の株が

大幅ダウンしたのと共に

私たちが来る前にそんなコンセンサスができあがっていたのかな

と思わずにはいられなかったのでした。

そのほか小さなことで「あれ?」って思うことがいくつかありつつ

リハーサルを終え、本番に臨んだのでした。

本番は素晴らしい演奏の中、気持ちよく歌えたし、

成功だったと思う。

けれど、その後のレセプションでさらなる交流を図る予定が

美女軍団は揃いも揃って不参加。

全体的に人数は少ないし、日・韓とテーブルが分けられていて

それぞれが内輪で盛り上がってる感じ。

これじゃあ意味ないよね、と私は真ん中あたりのテーブルに繰り出し

そこにいた女性に勉強したての韓国語で話しかけてみたんですが。

見ると会場は、だんだんと明らかに数が減っていく。

そして、まだ空気が和らいでないよなぁと思っていた頃、

私たちが日本の童謡を披露する、という場面に。

これが決定的でした。

歌い始めたら、韓国の皆さん、露骨に会場を後にします。

それはないよね?という勢いで。

歌を歌いながら、ふつふつと怒りと侮辱感が湧いてきて、

私の顔は赤くなっていたと思います。

後からリサーチしたところによると、

どうやら日本の植民地時代、

日本の言葉を強要されたり、日本の歌を強要されたりした

記憶を甦らせるものだったのかも、とのこと。

私たちがそこら辺にあまりに無神経でノーテンキだったのかもしれません。

でも、日韓交流を謳いながら、

片方で反日教育の成果を目の当たりにすることになるとは

思いもよらなかった。

そんな韓国人たちの反応に全く気づかなかった人、

うすうす気づいたけどあえて見ぬふりをしてる人

が日本人には多い気がしましたが。

こういうのは、なあなあにしちゃいけないと思う。

そうじゃないと、韓国人は日本人を

歴史も知らずに韓流の追っかけで浮つくノーテンキな人たち、

韓国にやって来てお金を落としてくれる便利な人たち

としか見ないはずだから。

韓国は好きなんだけど・・・。

とてもとても、考えさせられる旅でした。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

不妊治療 | 妊娠 | 旅行・地域